沖縄県立芸術大学

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2016年2月5日金曜日

奏楽堂演奏会「19〜20世紀 日本音楽作品の夕べ」

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奏楽堂演奏会「19〜20世紀 日本音楽作品の夕べ」

沖縄県出身の作曲家・金井喜久子さんが、三線とピアノと歌で演奏できるように編曲してくださった「浜千鳥」をご披露します。
また山田耕筰の「赤とんぼ」、滝廉太郎の「荒城の月」などよく知られている歌曲の他に、ドイツで初演され大好評を得た貴志康一の歌曲「かもめ」「赤いかんざし」、湯川秀樹氏のノーベル賞授賞式に演奏されたヴァイオリン曲「竹取物語」、尾高尚忠の2台ピアノのための「みだれ」などなど、珠玉の日本音楽作品を演奏します
。なつかしい日本の情緒を思う存分に楽しんで頂けましたら幸いです。
企画者:豊田 喜代美
曲目
金井 喜久子
浜千鳥
琉球古典音楽
こてぃ節
滝 廉太郎
荒城の月
成田 為三
浜辺のうた
尾高 尚忠
  • 落葉松
  • 2台のピアノのためのカプリッチョ《みだれ》
貴志 康一
  • 水夫の歌
  • 竹取物語
  • かもめ
  • 行脚僧
  • さくら
  • 富士山
  • かごかき
  • 赤いかんざし

  • 曲目は変更する場合があります
出演・演奏
  • 豊田 喜代美(ソプラノ)
  • 増田 勇人(カウンターテノール)
  • 岡田 光樹(ヴァイオリン)
  • 山内 昌也(歌三線)
  • 佐久間 龍也(ピアノ)
  • 武田 光史(ピアノ)
開催日時
2016年2月19日(金) 19時開演(18:30開場)
会場
沖縄県立芸術大学奏楽堂ホール
入場料
無料
主催
沖縄県立芸術大学 音楽学部
企画
豊田 喜代美(声楽専攻教授)
プログラムノート 豊田喜代美
中田 章(1886 - 1931)
作曲家、オルガニスト。中田喜直の実父。東京音楽学校研究科卒業。吉丸一昌の詩「早春賦」は、清々しい早春の色めきと、凛とした冷たさの残る空気感を感じさせる。中田の曲には、この詩のすっきりとした清らかさが際立っている。
山田 耕筰(1886 - 1965)
作曲家、指揮者。大正、昭和期における日本音楽界を率先して振興しつつ活躍した。東京音楽学校で声楽を学んでドイツ・ベルリンに渡り、王立アカデミー高等音楽院で作曲を学んだ。帰国後は東京フィルハーモニーの企画運営と指揮を行い、歌曲、ピアノ曲、オペラなどを、精力的に作曲した。詩人の北原白秋と三木露風との出会いは山田耕筰の作品創造に大きな影響を与えた。三木露風の詩「赤とんぼ」は、何気ない日常の生活の中に在る山や畑や自然界の有り様にとけこむような、人の心の繊細な優しさが感じられる。日本の愛唱歌の中で最も多く歌われる作品の一つである「赤とんぼ」は1927年に作曲された。
滝 廉太郎(1879 - 1903)
作曲家。東京音楽学校を経て、ドイツのライプツィッヒ王立音楽院で作曲を学ぶ。病気で帰国し、23歳で逝去した。「荒城の月」は欧米の聴衆に深く受けとめられ、その演奏は感銘を与えているといわれる。「花」は教科書でお馴染みの曲であり、世代を超えて重唱でも楽まれている。
成田 為三(1893 - 1945)
作曲家。山田耕筰に東京音楽学校で師事した。雑誌『赤い鳥』に弘田龍太郎、草川信らと共に童謡を発表した。ドイツのベルリンに留学し、帰国後も童謡の振興につくした。林古渓の詩「浜辺のうた」に成田は、寄せては返す波に乗って情感がわきあがってくるような生き生きとした旋律と伴奏を作曲している。
金井 喜久子(1906 - 1986)
作曲家。沖縄県宮古郡(現・宮古島市)生まれ。東京音楽学校の作曲科に女性では第一番目として入学した。トロンボーン奏者・金井儼四郎(1909年-2000年)と結婚。尾高尚忠に管弦楽法を学んだ。日本女性として最初の交響曲第1番を作曲(1940年)し日比谷公会堂で中央交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団) を自分自身の指揮で演奏した。
本演奏会では、歌三線の奏者である山内昌也氏に選曲を依頼した結果、金井氏の編曲による「浜千鳥」と琉球古典音楽「こてい節」を演奏することになりました。選曲に関しての山内氏の文章を次に記載いたします。
『金井喜久子著『琉球の民謡』の中に、「この本を はるか 沖縄にいます わが母に捧ぐ」と書かれていました。故郷の宮古島のこと、沖縄のことを忘れずに東京音楽学校に進学し、数々の作品や著書を世に出しました。その研究は新曲作品発表だけでなく、琉球古典音楽や民謡の五線譜への採譜も含め、その根底には琉球・沖縄音楽があることが伺えます。今回は「浜千鳥」と「こてぃ節」を選曲しました。浜千鳥はテーマが旅愁であり、金井の母に対する思いが表現できればと思います。三線・ソプラノ・ピアノという構成にアレンジされています。また、「こてぃ節」は金井が琉球古典音楽の中から20数曲五線譜に記譜されており、その中から選曲しました。「常盤なる松のかはることないさめ 何時も春来れば 色どまさる」(松は四季を通して紅葉することがなく緑の葉を茂らせている。そして春ともなれば、一段とその緑も映えるものである。)
著書には「琉球民謡も世界の音楽界に、貢献できる分子が多分に含まれていることを、改めて述べてみたかったからであります。」とも書かれていました。琉球古典音楽の新しい表現の可能性を見いだしていきたいと思います。(歌三線 山内 昌也)』
尾高 尚忠(1911 - 1951)
作曲家、指揮者。ウィーン音楽アカデミーで作曲と指揮を学び、日本でプリングスハイムに作曲学んだ。ベルリンフィル、ウィーンフィルを指揮し、帰国後はNHK交響楽団の指揮者として活躍した。2台ピアノのためのカプリッチョ「みだれ」は日本古来の「乱れ太鼓」の意味である。ウィーンで初演され、アンコールに再度演奏するほどの大好評を得た。北原白秋の詩に作曲された「落葉松」は尾高尚忠による最後の作品と言われている。「自然」の有り様と人の感情を、歌とピアノが紡ぐように表現される。
貴志 康一(1909 - 1937)
作曲家、指揮者。幼少期からヴァイオリンを学び18才で単身、スイス・ジュネーヴのコンセルヴァトワール(国立音楽院)に留学した。最優秀の成績授与と演奏会出演を行った後、ベルリン高等音楽学校に入学しヴァイオリンを学んだ。1年後に帰国して開催した演奏会は大変な評判となり、一躍、時の人となる。翌年ベルリンに渡り、フルトヴェングラーに指揮、ヒンデミットに作曲の薫陶を受けた。翌年また帰国し日本の各地で演奏会を行い、作曲した自作品も発表した。翌年またベルリンに渡り、「貴志康一による日本の夕べ」を企画実施し、自作品と自ら制作した日本を知らせる映画を発表した。また、ベルリン・フィルハーモニー他のオーケストラを自ら指揮して、自作の交響曲「仏陀」、交響曲「日本スケッチ」、「オーケストラ歌曲」を演奏しライヴ録音した。それらは現在CD化されており聴くことができる。歌手はマリア・バスカ(ソプラノ)である。ヴァイオリン曲は貴志康一自身がヴァイオリニストであったため、自らが演奏することを想定して作曲されていることがうかがわれる。音源は遺されていないが、湯川秀樹博士のノーベル賞受賞式において、貴志康一作曲のヴァイオリン曲「竹取物語」が流れた。本演奏会では、月、水夫の歌、龍、竹取物語をお聴きいただく。日本歌曲の歌詞のほとんどを貴志康一自身が作詞している。その題材は、自らが生まれ育った環境に在るものである。かもめ、行脚層、さくら、かごかき、富士山、赤いかんざしの中の、さくらと富士山以外は貴志康一の作詞。貴志康一作曲のピアノ伴奏譜で演奏する。
「貴志康一」とは1987年東京都交響楽団定期演奏会「第一回日本の作曲家シリーズ」で豊田がソリストとして演奏したのが出会いです。それ以来ライフワークとして演奏研究しており、最も感動したのは、貴志康一がドイツで自費出版の楽譜表紙裏にドイツ語で記した言葉に「西洋の人の心に、日本の感情を寄せる」とあることです。この言葉からは「説明するとか理解してもらう」といった意思のようなものは感じられません。「ただただお側に寄せさせていただく」というニュアンスを持っており、私は「思いやり」「恥」の文化を持つ日本人の心根を表していると考えています。28才でこの世を去った貴志の純粋な音楽への想いは、遺された作品の中に熱く燃えていることを演奏するたびに感じます。日本大使館主催のドイツでのリサイタルで「かもめ」他を演奏した際、聴取者は驚くほどに楽しんでおり、作品の力を知りました。「かもめ」の漁師も「行脚僧」も男性でありながら貴志の求めているのは女声の声質と音域です。今、最良の演奏後継者を得て今後ますます演奏されることを期待しています。貴志康一は「大衆芸術」という概念を大切にしていました。それが具体的にどういうものなのかが、うっすらと感じられてきたところです。今後も研究を続けてまいります。

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